二匹の虫が身体をぶつけ合う勢いで木々は枝を揺らし、無数の葉を彼らの上に散らす。 両者は複眼の一つ一つに相手の姿を捉えながら、その側面、柔らかな腹部目掛けて、 己の頭を突き刺してやろうと狙っていた――しかし、決定打はなかなか入らない。 体格差は相当なものだ。大きな個体は胴部だけで小さな側の全長に匹敵し、 羽もそれを空中で自在に旋回させるだけの幅広なものである――それに比べれば、 小さい側は明らかに、まだ性成熟したてで他の雄との争いに慣れていない風であった。 膠着した争いは毎回、至極当然の帰結としてより大型の個体が我を通す結果となる。 若き個体が彼に勝つには、まだまだ相当な回数の脱皮を経ねばならぬだろう。 苦々しげに顎を打ち鳴らすものの、それに呼応するように相手もまた顎を鳴らし、威嚇する。 そして示し合わせたかのようにふっ、と視線を切り合って、森の木々の中に消えていく―― 数分の後に、また二匹は三対の脚に果物を抱えて睨み合っていた。 脚の間に収まるそれは、赤子の頭程の大きさはあろうか――必然的に、軽々担ぐ彼らもまた、 人間の成人男性に匹敵するだけの体長と胴体の太さを有している。 二匹は相争うようにそれらの獲物を、一人の女の前に投げ転がして与えた。 艶々として、けれどまだ青さの残るもの。表面に皺の浮いた、熟れて蜜のしたたるもの。 雌の餌付けもまた、年経たる個体の方に軍配が上がったようである――若い個体は身をよじる。 そして大きな個体は、相手に見せつけるようにして、果物をかじり出した女の背後に陣取り、 その背を掻き抱く格好で、髪の付け根をも掴むのであった。 髪を引かれて痛くないはずもなかろうが、女は彼のその行為に怒るでもなく、 瑪瑙色の甲殻にそっと指を這わす――その指遣いは穏やかなものだ。 そして争いに敗れたもう一匹の甲殻にも伸ばした指で、節目をなぞるのである。 すると背後の個体は、雌がそのような行動を取ることに嫉妬でもしたのか、 彼女の長い金髪を、ぐいっ、と引っ張って頭を無理やり上げさせる。 その無体にはさすがに、女も碧い目を白黒とさせる―― 女が食事を終えたと見るや、虫は彼女の身体にしがみついたまま、羽を擦り合わせて音を出す。 それを聞くと――彼をなだめるためにまた、女は背後の虫の顔を撫でる。 表情こそ表れないが、この個体が彼女からの働きかけに満足していることと、 自分の与えた餌の“対価”を寄越せと迫っていることは、動物学者でなくてもわかるだろう。 当然、至近でそれを聞き続けてきた彼女自身が、最もそれに詳しい。 尾部からぎちぎちと音を立てて伸びる性器は、胴の太さに見合って随分と大きなもの。 その先端が、剥き出しになった陰唇を舐めるように擦ると、女は事前と股を開き、 片脚を持ち上げて挿入をしやすいよう促す――その様子は、 色好みの夫に、仕方なく身体を開く連れ添いのようにしか見えないものであった。 ただ、彼女は地球人種の雌であり、彼はこの星の原生生物の、虫の雄であるという点だけが、 真っ当な同種つがいのあり方とは違う――だが今更、そんなことに意味などはない。 この星に不時着し着の身着のままで放り出された彼女が遭遇したのが彼であり、 食用可能な果物や狩られた獣を受け取る代価に身体を開いたのが、彼女である。 種の違う両者に共通する言語は交尾だけ――なぜ彼が姿の違う彼女に惹かれたか? 女の身体を構成する遺伝子――地球人種を基盤にあらゆる生物の特徴の織り込まれた、 この銀河に二人といない奇跡的な混沌は、他の種の雄の精を受け入れ、子を生せてしまう。 その遺伝子的な懐の深さを彼が本能的に察知し、強い子孫を残すために利用しようとしたのも、 自らの生存のため、彼との共同生活を良しとしたのも、お互いの利益を尊重してのこと。 結果として――虫の目的は成り、女はその胎の中に、己とは似ても似つかぬ子を宿した。 大型の個体がそのような“愛撫”を経て雌の膣口を十分にほぐし終えると、 土壁に手を当てて体重を預けた彼女は、胎の奥にずん、と沈む衝撃に顔をしかめた。 何度繰り返しても、拳大の亀頭のある性器を一息に押し込まれるのは慣れるものではなく、 ましてその腰の動きは機械的なまでに一定で――交尾を娯楽にさえしてしまう人間にとっては、 実に味気ない、“夫婦の営み”であった――それでも息が次第に上がり始めるのは、 膣内を擦られることによる生理的な反応の他に、今は空になっている子宮へと、 またこの虫との子を宿してしまう己を想像してのことである。 壊れた宇宙船の修理という目的は既に遠く、そのための材料探し、道具集め、人探し―― それらの希望をことごとく打ち砕かれるにあたり、彼女の生活を構築するのは、 他の雄につがいを取られまいと四六時中周囲を警戒してくれる彼との時間だけであった。 言葉一つ交わせぬ相手であっても――子を生す、という目的の共通した交尾を繰り返すうち、 女の心中に、愛着に近い感情の生まれるのもまた自然の成り行きであるといえた。 それに相応する感情が、彼の内にあるかは極めて怪しいものではあったが―― 目の前で交尾を始めた両者を目の当たりにして、若い個体は苛立ちを隠さず羽を擦る。 それは相手に警戒を促すものであり――彼の我儘、駄々に過ぎないものでもあった。 そんなものは話にならぬとばかりに、大きな固体もまた悠々と羽を鳴らして威嚇する。 体格に勝る相手に脅されても、若き挑戦者は逃げもせず――却って、彼が犯している雌の、 顔の前に陣取って、同じように性器を展開して彼女の口の中にそれを押し込んだ。 急に呼吸を阻害され、虫臭い汁にまみれた性器を咥えさせられた女は、 しかしそれを口内から追い出そうとせず、舌で迎えて通りやすいようにしてやる。 唾液をまぶしつけて、雄の性器が前後しやすいようにもしてやる―― 生意気なその行動に腹を立て、大きな個体はいよいよがちがちと顎を鳴らした。 これは俺のつがいだ、さっさと失せろという強い意志の籠もった音である。 そして女の髪をより強く引っ張って、そんな奉仕まがいはしなくていい、と暗に伝える。 やはりそれに対抗する風に、小さな個体も顎を鳴らし、彼女の頭に手を乗せようと様子を伺う。 二匹の雄に取り合われる雌がこうして激しい威嚇の間に挟まれることも珍しくはない。 より強い子孫を残すためなら、雌が雄の値踏みをしたっておかしくもない―― だが彼女は、口の中に性器をねじ込んできた個体を振り払おうとはしているようだった。 それは、自分が既に背後の、大きな個体のつがいとなっていると事実のためだけではなく、 この小さな個体が、両者の間に生まれた子であることも理由していよう。 彼の複眼は、母親の瞳と同じ碧であり――父よりも甲殻の色が薄いのも、 彼女の白く柔らかな肌によって、本来父親の種族の有していた特徴が薄まったためであった。 顕微鏡で見なければわかるまいが、体表の産毛さえもまた――薄っすらと金に光るのである。 二匹の虫は羽を擦り、顎を鳴らし、触角同士をぶつけあって、銀河に唯一の雌を取り合う。 たとえそれが自分を産んだ母親だろうが、若き個体には関係ないらしかった。 今はまだまだ、父親に抗えるだけの体格も戦闘経験もない彼は、その望みを果たせまい。 何度も何度も父に挑んでは負け、贈り物競走でも遅れを取ることであろう。 だがもし、父の寿命が尽きれば――あるいはより早く、息子の側が勝るようになったなら? その時こそ彼は本懐を遂げ、母に己の子を仕込み――より強い子孫を胎の中に宿させるだろう。 やがて己がかつての父のように、我が子に追い落とされることを想像だにせず。 彼女は何度も膨らんでは空になる胎によって、代わり映えのせぬこの星の時を数えた。 星には彼女の遺伝子を引き継いだ無数の子孫たちが闊歩するようになって久しい。 世代を経るごとに、次第に地球人種の特徴の増えてくる新たな夫に身体を開きながら―― いつかずっと先に、重力からも自由に飛び立てる子が、己を外に連れ出してくれる日を夢見た。